3度目の不採用 - 2020年5月18日
金曜日の夕方、待っていた国産ベンチャーの面接結果が届いた。
結果は不採用。
メールには他の候補者を採用する旨がやんわり書かれていた。社長との最終面接は非常に盛り上がっていたので、どこかに落ち度があったとは思わない。1回目の外資IT企業、2回目の台湾企業、どちらも敗戦の理由は明白だった。今回は相性としかいいようがない。ただ、現行年収を最後になって人事に聞かれたのはマイナス材料に思えた。こちらは妻も働いているので年収ダウンはある程度織り込んでいる。そういうつもりで求職活動をしているわけではあるが、どうも国内企業だと転職回数と現行年収が障害になってくる。外資の場合、転職を重ね、キャリアアップしてくるのは当たり前だし年収の上下が問題になったことはない。
週末は、ほんの少し心を痛めてすごした。なんせ最終面接に上がっていくというのは、それなりの勉強と対策をする時間を積み上げていくのだ。それが不採用でリセットされる。そこでの勉強は確実に次に時にプラスにはなっていくが、気持ちは正直しんどい。でもこれに慣れなければ前には進めない。
インストラクター資格もとって具体的な学習目的がなくなったので、オンラインの英語学習プログラムを週末は試してみた。やっぱり自分は外資で生きるしか道がないのかなという諦めを自分を磨くポジティブな方向に転換するためだ。
候補はBizmateというビジネス英会話に特化したサービスとEducation Fastという世界的な教育ベンダーのEnglish Liveというサービスだ。
Bizmateは1:1で1日25分、主にフィリピンのネイティブスピーカーと英会話のレッスンができる。インタビューやプレゼンテーションなどに特化したコンテンツもある。
一方、English Liveは1:1のレッスンの他、世界中の受講者とのグループレッスンも提供される。トライアルでグループレッスンをやってみたが、上級クラスは、ほぼ内容がディスカッションで、電話会議などの実践的なトレーニングになる。またオンラインでの作文の宿題添削などもプログラムで提供される。
結局、月曜にEnglish Liveに申し込んだ。月額8000円程度なのでコスパは悪くない。6月からは海外とのメールのやりとりや電話会議はなくなるので、インタビューに備えて毎日勉強しよう。
そして、午後になって不採用になったベンチャー企業で面接をしていただいた社長、役員に手書きのお礼状を書いた。
1回目の不採用の時に始めた習慣だが、一期一会を大切にする気持ちと踏ん切りをつけるためにやっている。
手紙を投函したら気持ちがすっきりした。またこれで前を向ける、そんな思いがあふれてきた。
自宅に帰ってメールをチェックする。
数週間前に応募した日系企業から面接をしたいというメールがあった。
もやもや -2020年5月13日
ベンチャー社長との面接から一夜開けた。結果は一両日中に連絡するとのことだった。最終面接は、求職活動をはじめてから3回目だった。一次、二次面接くらいの時にはあまり焦りはないのだが、最終面接というのは自分も気持ちをいれて準備をしているので終わった後のもやもやがひどい。まるで死刑宣告を待っているかのようだ。
1度目は、自分の中で期待値もあった。だから、早く連絡が来ないかと待ちわびていた。結果は不採用。大きく自信がゆらいだ。
2度目は、台湾企業。いつのまにか営業の募集案件に変わっており、自分の期待値と違った。もしオファーをもらっても慎重に再検討する必要があったが、結果は不採用。予想はしていたが、心の傷は残った。
そして今回は3回目だ。今週中に結果は出るだろうが心が落ち着かない。もう少しこういう風にすれば。。。そして余計なことを話したとの後悔が湧いてくる。
インストラクターの勉強も資格を取得して一息ついたので、なおの事である。30分に一回は頭の中で不採用の時の言い訳をならべている。そんな一日がすぎていった。不採用を聞いた時の自分のショックを和らげようとする気持ちが働いている。人の心とは不思議なものだ。
布団に着く前、明日からどうしようと思い悩んでいた。手帳を取り出す。そこにDaiGoの本から写しとった言葉があった。
「小さな行動を積み上げ、細かく軌道修正をし、幸運が来るのを待つ」
そうだ、すぐこれを忘れてしまう。
明日から、また一から次への準備をしよう。戦いはまだまだ長い。いつチャンスがきても焦らないように。。。
今日は休肝日にしようと思ったが、夜中に眠れなくなるのが怖くてジンをあおって布団に入った。
ベンチャー社長との面接 -2020年5月12日
ゴールデンウィーク前に受けた面接はパスし、明けの翌週、社長との最終面接になった。この会社は某有名コンサルティング会社を退職してこの社長が自分のビジョンを実現する為に約5年前に設立した会社だ。初めは企画職の求人で見つけた。この会社の名前は知らなかった。求人の募集内容は自分の経験にぴったりだった。外資にすこしヘキヘキしていたので国内企業にも応募の幅を広げようと思っていた。
国内企業の求人にはここまで数件応募したが案外ハードルが高かった。外資では多くの人が複数社の転職を重ねて、そこでの経験が次のチャレンジのきっかけになることが多いが、国内企業はやはりまだ、転職歴が多い、年齢、現行年収が大きな壁となってくる。初めから外資の人は採りませんといってくる会社もある。
実際こちらは。例えばすべて数値化してPDCAを回すことなどの知見や経験値で勝負したいし、年収もその会社の仕事やビジョンがマッチすれば、それなりの妥協はするつもりであるが、その入り口に立つのが難しいということを感じていた。
そんな中でこの会社は面接の機会をくれた。会社のビジョンも明確であり、共感できるポイントが多かった。
一次面接は直属の上司となるマネージャーだった。彼は僕より若いが(みんな若いのだが。。)すごく頭の回転がよくて、とても温和な人だった。この歳になってやはり重要なのは、一番やりとりとしなければならない人と温度が合うかだと思う。そう意味では僕の方は彼に大変いい印象をいだいたが、会話は何かつかみどころがなかった。
数日後、2回目の面接がセットされ、技術系の役員と面会した。むかしのテクノロジーの話で盛り上がったが、うまくいったかどうかは疑心安義だった。
そして社長との最終面接である。
Webで会社のビジョンに興味を思ったので彼が書いた本をゴールデンウィークに読んでいた。彼のビジョンとそこにたどり着くキャリアの話が熱く語られていた。経歴だけを見ると華々しいがかなり苦労してたどり着いたようだった。
自分の経験をシンプルに濃く話ができるようにかなり事前準備をしたが、聞かれたことは一番プレッシャーに感じたプロジェクトの話やそのときのダイアローグなどだった。なんか心理学者に質問を浴びされるような感じだった。
僕は彼に非常に興味があったので、僕側からもいろいろなことを聞いた。かなり厳しいい質問も投げてみた。このポジションは最低週二回は、社長と直接やりとりをする場面があることを聞いていた。なのでお互いにベクトルが合わなければ長続きしないと思っている。
ただ自分の悪いところは、相手と話で受けとけてしまうとついつい言わなくてもいい余計な話題に踏み込んでしまうところだ。今回も少しそんな感じで進めてしまった。
一方でそれは自分のそもそもの性格なのでそこが合わなければダメだとおもう。
面接は1時間半におよんだ。やりきった感はあったが、やりすぎた感もあった。
しかし、「人事を尽くて天命を待つ」。そんな心境の夜だった。
友からの電話 -2020年5月8日
ゴールデンウィークのインストラクター講座を終え、来週の面接までは5日ほどあるので、木金は数日遅れの休暇をとることにした。休暇といっても、もう引き継ぎは済んでおり、会社は求職活動に専念してよいという有休扱いになっている。前にも書いたように求職活動は、毎日ルーティンがあるわけでもなく自分の気持ちを切らないように日々何かの勉強やスキルアップをしていた1ヶ月だった。
そんな自分に少しだけ休みをあげることにした。
なんてことはないんだが、見ようと思っていた映画をみたり、漫画をよんだり、音楽をきたり、何時だからどうするということを考えない二日間にした。
金曜日の夕方、以前勤めていた会社の友人から突然電話がかかってきた。彼とはもう2年もあっていなかったが、とても気が会うやつで社会人になってからできた親友の一人だ。
彼のことを親友だと思えるようになってのは、前の会社を辞めた最終日の出来事だった。自分のキャリアアップのための転職のためにその会社を辞めたのだが、惜しんでくれる人がいる一方で、自分をよく思っていない人たちもいたことがわかっていたので送別会の類は遠慮した、それでも部下をはじめ、親しい人たちがこじんまりと送別会を開いてくれた。彼はその中にいた。彼とは仕事上、いろいろやりとりをしたが、一度も意見対立することなく、いつも同じ方向を向いて仕事をしてきた。趣味もゴルフと音楽という共通点があったので、話していて心地よかったがそれ以上の親しさを感じていなかった。
送別会では彼と近い席に座っていて3時間ちかく、いつものノリで話をしていた。11時頃になってお開きとなったのだが、彼が
「今日は俺のいつもの店に連れて行く。付き合え。」
といってきたので二人でもうしばらく飲むことにした。
彼が連れていってくれたのはいわいるおっさん的なスナックだった。
ウイスキーの水割りを飲みながら、とりとめのない馬鹿話をしたり、カラオケで歌ったり、そんな時間が過ぎていった。彼もだいぶ酔っ払っていて、ろれつもうまくまわらなくなった頃、ふと呟いた。
「なんでお前みたいなヤツをうちの会社は辞めさせるんだよ。なにがなんでも引き止めなきゃ駄目だろう。そんな会社は駄目だ。」
心に染み渡る言葉だった。
そして彼はタクシーでうちまで送ってくれた。もちろん自腹で。
そんなやりとりがあってから彼のことは心の中で親友だと思ってきた。そして、たまに飲みにいったり、ゴルフにいったりしてきた。ただここ数年は彼がコンサルティング部門のトップになったこともあり、お互い忙しくなり疎遠になっていた。
そんな彼からの電話だった。
「うちの企画部門のトップが先月会社を辞めたんだが、おまえ戻る気ないか?」
僕は彼に退職勧奨を受けたこと、求職活動をしていること、いくつかの会社に落ちたこと、来週、最終面接をうける会社があること、すべてを立て続けに話した。
「わかった。今から社長と人事部長にお前を推薦しにいってくる。面接はそのまま受けろ、こっちも何も保証できるわけじゃないから。来週 もう一回連絡する。いいな。」
僕には「ありがとう」しかいえなかった。
電話を切った後、涙が込み上げてきた。
しかし、このタイミングでこの電話とは。。。
世の中まだまだ捨てたもんじゃない。絶望する必要なんてない。
新しい学び -2020年5月5日
(過去の出来事の記事化が完了しましたので、今日からリアルタイムになります。)
Stay Home Weekを使って、4月初に申し込んだ世界的に有名な思考法のインストラクター認定コースを受講した。
もちろん求職活動は続けるが、将来のために資格取得したキャリアコンサルタント国家資格をビジネス化していく準備は並行してやっておこうと思っている。また、求職活動は、残念ながら毎日なにかの案件に取り組むことがあるわけではなく、暇な時間が結構できる。そういう時ほど心が後ろ向きになり、鬱な気持ちになることがある。気持ちを前に向かせるためにも、長期的な視野でコツコツと小さな変化、歩みを続けることが大切になる。
さて、この思考法のコースを選んだのは、キャリアコンサルタント活動に使うことができるとおもったからだ。コンサルティングの基本メソッドとして、過去の自分を振り返って自分の中にある大切な価値観や自分らしさを見つけていくプロセスをとるので自己発見ツールは様々なものがある。僕も資格講座や様々な研究会で学んできたが、自分の未来のビジョンや夢を描くて適切なツールが見当たらなかった。
この思考法は脳の中の働きを再現することで新しいアイデアやそのアイデアに連鎖するもの、事を可視化、整理することで頭の中で漠然としていた考えをクリアにし、行動を変えるというものだ。企画業務に長く携わっていたので、この思考法の本を読んで見よう見まねでやってきたがこの際、人に教えるレベルを学びたいと思って公認インストラクターコースを受講することを決めた。
コースは6日間 約35時間のワークショップが行われた。コロナ禍のなか開催が危ぶまれたが、Zoomでオンライン開催を試してみようということになり無事の受講できた。大学生になった長男に書斎を受け渡したこともあって、家でどうやってやろうか考えたが、察した息子が一週間 部屋を譲ってくれた。今の僕の状況を心配してくれている。本当にありがたい。
この6日間は、仕事の事を忘れてコースに集中した。久しぶりに脳をアクセル全開で動かした。人間は脳は25ペタバイトの容量(ITBのパソコンで25万台分)があり。たった20Wのエネルギーで動かしている。そして、たったの10%しか使っていないと言われている。ワークショップでひっしに動かしている事でどんどん頭がさえていった。事実、授業が終わったあとは疲れているはずなのだが、夜になると無性に本が読みたくなった。脳の10.005%くらい使えるようになったかもしれない。
5月5日午後5時 修了式とともに講座が終わり認定書の書類にサインした。そのあと受講者、インストラクターで今はやりのZoom打ち上げ飲み会が行われた。
面接以外、家族以外の人と話すのは2ヶ月ぶりだった。
酒のちからもあって一人でひたすらしゃべってしまって顰蹙をかってしまったかもしれない。でも2ヶ月たまったのオリのようなものが体からすべて出ていった気がした。
日本企業 - 2020年4月30日
日本企業の案件も3件ほど入ってきた。いずれもここ2−3年に創業したベンチャーだった。現在、ジュニアレベルのマーケティング担当がいるが、ビジネスの拡大とともにマーケティングの組織づくりができる人材が欲しいとのことだった。
外資、とくにIT関連で長らく仕事をしているとやはり多文化の中で仕事をしたり、自由裁量で仕事をしたりという環境に慣れきっているので今更、国内企業で働くのはどうかと思うこともあるが、一方で国内企業に勤める同様の職種の友人たちとたまに話をしていると、特に企画系の職種のビジネスゴールがふわっとしているなと感じることも多い。一方、外資はその辺がかっちりしているし、それが達成できない時には戦力外通告をうけることも多々ある。そんなやり方がすべて正しいとは思わないが、少なくとも外資のビジネスの回し方は、成長途上でベンチャーで、ビジネスを軌道にのせるために貢献できるのではないかと思い始めていた。特にコロナ禍で今後の経済が先行き不透明な今、それでも求人したいという企業は、成長に確信を持っている会社と思える。
ただし、問題は年齢よりも現状年収だったり、転職社数だったりする。
自分がいくら、この年収で働けますと言っても、それが現状から乖離している場合、やはり今後の不満要素になるのではないか、転職経験が複数回あれば、すぐに会社をやめるのではないか、特に人事との面接では相手がそういう印象をもっているなというのをまじまじ感じてしまう。
4月中旬になってエージェントが面接を調整していた1社は「経済が先行き不透明なので、今回は給与レンジのもう少し低い人をとりたい」と断りの連絡があった。
もう1社とは4月15日、若い経営企画の責任者とインタビューがセットされた。彼はマーケティングも現在兼務しているとのことだった。インタビューは友好的な雰囲気ですすんだが彼自身もインタビュワーとしてあまりなれていないようだった。そしてマーケティングにこともあまり経験がないようで話が噛み合わなかった。そして今後のステップはGW後とのことだった。
最後の1社はまずCMOである採用マネージャーとのビデオインタビューだった。非常に人柄の良さそうな人で自分の過去の経験でそれそれどんな事を学んで次に仕事に生かしたかなど丁寧に聞いてくれた。インタビューは1時間予定だったが時間オーバーするほど話が盛り上がった。
そして 週明け月曜日、二次面接の案内をいただいた。このコロナ禍ではあるが実際に相対の面接をしたいということだった。相手は取締役だった。
僕より何歳か若い人だったが技術系の方だったので、過去の職務経験にそって、過去のいろいろな技術の話や、当時は盛り上がったが結果的に成功しなかったプロダクトの話など、それぞれの失敗体験で盛り上がった。温度感はあっていたが一方で実際の職務に関しての話はあまり噛み合わなかった気がした。なかなか、すばらしいビジョンを持った会社だったのでこっちが肩に力を入れてしまいすぎた。自分では失敗とまでは行かないまでも、うまくいったかと言えば、うなずけないできだった。
夜、家にかえって、今日のことを忘れるようにワインをしこたま飲んだ。そして深い眠りについた。
翌日、5月1日 お昼すぎ、その会社からメールで次の面接の連絡が入っていた。
台湾企業- 2020年4月17日
4月に入ってたまたまだが、二件の台湾企業の求人案件があった。一件はまだ設立2年目のベンチャーでLinkdinからアクセスがあった。一人でマーケティングプログラム全般を設計、実施をする役割だ。日本法人にも日本語の話せる台湾人、中国人が働いているが日本人はこれから雇い始めるようだ。
過去10年ほど前に台湾系企業の求人案件の面接を受けたことがある。個人的には特に台湾の人々は案外欧米化されていて、英語も中国、韓国に比べると普通に扱える人が多いという印象だ。特にモバイルやITの分野での台湾企業のグローバル化は目覚ましい。アメリカ人と面接をして、相手の質問に対して的を得ていない回答をするとそのままスルーされることが多いが、台湾の人々は英語が第二言語だという認識を持って会話をするため、話が理解できないと言い換えたりして相手に意図が伝わるまで話ができるという印象がある。
インタビューは日本で働いている日本語の話せる台湾人Aさんと、台湾在住の採用マネージャーBさんの三者ビデオ通話で実施された。当然英語で行われると思ったのだが、なぜか日本語でAさんと、それをAさんが中国語でBさんに伝えるというインタビューになっていた。雰囲気は悪くなかったがAさんの日本語がそれほど達者でないこともあり、何か話が噛み合わない感じがした。インタビューは1時間ほどで終わり、次のステップについて来週連絡すると言っていたがそれから音沙汰はない。
もう一社は設立15年くらいのIT企業で一度、日本でもビジネスはうまくいったが、参入分野の競争が厳しく一度ビジネスを縮小したが、昨年あたりから増員を再開しているそうだ。このポジションもマーケティング施策を一人でになう役割ということだった。かなり広いビジネスエリアを一人で担当しなければならない割に給与条件もあまりよくなかったので、それほど思いは強くなかったがエージェントがとにかく一回人事と話ようにすすめたので、インタビューをうけた。
4月10日午後、人事の担当者と30分ほどのインタビューをうけるとすぐに次のステップということで日本法人社長との面接になった。エージェントからも、給与条件はもう少し上にできそうだということだったのでインタビューを受けた。
なかなか経験豊かな経営者で話も温度感もあった。インタビューもビデオではあったが1時間以上時間をいただけた。彼からは「うちの営業は若く、経験がないので、ぜひ営業のアドバイザーもになってほしい」とのことだった。ピュアな営業経験は新卒の3年間、家電量販店担当、15年ほど前に外資IT企業での事業開発、起業した2年と一応あったが、営業マネージャーとして働いた経験はほぼほぼない。
もし、就職が決まらず自分で再度独立する。または10年後、会社人を引退して自分で仕事をやる時は営業力が必要になるので腹をくくって「できます」といった。
その後、あっという間に本社役員とのビデオ面接がセットされた。相手はなぜか、アジア地域の営業担当副社長だった。
インタビューで一通り自分のマーケッターとしてのキャリア経験を説明した後、立て続けに彼から質問があった。
「リテールでの営業経験を聞きたい」「店頭にどういうデモスペースを用意したらいいか」「その時どのようにお金を調達するか」全く想定していなかったし、自分の経験に関する質問は一切なかった。
次の日、その会社が出していると思われる求人広告を別の転職エージェントのWebサイトで発見した。
「営業部長兼マーケティング企画担当」
僕が紹介エージェントからもらった求人内容とは全く違う内容になっていた。
数日後、エージェントから「不採用」の連絡があった。正直 驚きはなかったし、がっかりもしなかった。ただ、何か、つかみどころのないもやもや感だけが残った。