53才のリアルタイム リストラ日記

突然 リストラを通告された53才 サラリーマンの物語をリアルタイムでお伝えします。

初回認定日(失業32日目)ー2020年7月2日  

7月1日 初回の失業保険認定日のため、ハローワークに行った。失業保険の支給条件は大前提として保険適用期間中に就職活動を行うことが必須なので4週間毎にハローワークにいって、就職活動の内容、また期間中にアルバイトなどで働いた日があったかというようなことを報告用紙に記載して提出する必要がある。

朝9時過ぎに到着したが窓口は溢れかえっていた。やはりこの時期、失業した人が多いことを実感する。報告書には、労働したことがなかったことと、現在、面接を受けている会社の名前を書いた。以前 10年目ほど前に会社を辞めて起業の準備をしていたときに数ヶ月失業保険をもらったことがあるが、その時は認定日にハローワークの求人検索機で検索をしてそれを記入してくださいと言われたが現在は必要ないようだ。書類を提出して45分ほどたって名前が呼ばれた。初回は、失業保険の届出日から11日の待機期間をひかれるので20日分の失業手当が認定された。一週間ほどで入金されるそうだ。2回目の提出用紙をもらってハローワークを後にした。

その後は税務署へ。毎年 幾ばくかの株式をボーナスとして支給があったので、その分を確定申告していた。3年目から、予定納税という通知がきて、その確定申告で追加に払う所得税を事前に徴収されていた。今年は失業して収入が下がるし、そもそも会社を辞めて株式付与がなくなるので、予定納税の減免相談にいった。

税務署の入り口には大きな張り紙で

「事前に必ず予約をお願いします」

と書いてあった。

当然、予約なく来てしまったので、途方にくれたが、念のためと思って税務署の玄関から予約の電話をしてみた。所得税の担当に今 税務署にいることを告げると

「いま ちょうど手が空いているので今からいきます」と女性の担当者が玄関に迎えに来てくれた。

会社都合で退職し、今年度想定されている追加収入が見込めないという話をすると、一瞬気の毒そうな顔をするとテキパキと見込み所得を計算し、その場で申請書類をつくってくれた。会社都合解雇の話をすると、ハローワークの人も税務署の人も気遣いをして接してくれる。本当にありがたいと思った。予定納税ゼロで申請書を提出し、丁寧にお礼をいって税務署を後にした。

その日は、自宅に帰って明日に控えた日系ベンチャーのインタビューの準備をした。

 

7月2日、朝から日系ベンチャーの面接を受けに行った。ひさびさのオンサイト面接だった。この会社はビジネスの主戦を海外にすえており、社員も半分は外国人、社内の公用語は英語ということだった。

受付で待っていると人事の担当に会議室に案内された。PCが奥の客側の席に置いてあり、珍しい会社だなと一瞬おもった。通常は応募者を奥に座らせて後から面談者が入ってきて入り口サイドに腰掛けるのがビジネスマナーとしての常識だ。

若干とまどっていると人事担当者から

「PCのところに座っていただけますか」と言われた。

「はい」と答えて座るとPCの画面にはA4半分くらいの量の英語の文章が書かれていた。

「面談者があと20分くらいできますので、こちらをインターネットを使わずに翻訳してください」と笑顔でいって席についた。

冷や汗。いきなり英語力のテストである。。。

とにかく冷静になってスタートした。翻訳を初めて1語だけわからない単語があった。またそれが繰り返し重要な文脈ででてくる。そこは、とりあえずカタカナでそのまま書いて翻訳をすすめていった。大体の文脈は15分くらいで訳せた。残り5分。

どうしようか、このままカタカナで残そうかとも考えたが、目をつぶってもう一度全体の文脈を頭の中で読み込んでみた。その時にふと漢字2文字の言葉がうかんだ。

その言葉をカタカナに当てはめてみる。意味が通じた。思い切ってカタカナの部分をその漢字に置き換えた。

制限時間終了、人事担当者が「面接担当がきますので、しばらくお待ちください」といってPCをとりあげ持って行った。人事担当が退出するとあわててスマホでその英単語を調べた。自分が選択した訳語とほぼ同義語だった。冷たい汗が背中からながれた。

その後 二人の面接官(年下)と日本語と英語まじりで2時間ほどの面接となった。

13時頃に終了した。ただ ただ疲れたという言葉しか出なかった。

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4度目の不採用 (失業18日目) - 2020年6月18日

今週も月曜、火曜とインタビューがあった。一つは大手グローバルIT企業のマーケティング責任者のポジションだった。シンガポール在住のそのポジションの常時となるディレクターとのインタビューがあった。インド系。苦手である。別に人種的な偏見はかけらもないのだが、いままでにインド系の人とインタビューでうまくいった経験がない。なにかリズム感が交わらないのだ。今回もそんな感じでいい感触のかけらもなく終わってしまった。火曜日は、外資系の人事の人と募集している仕事の内容についての話だったが、こちらも噛み合わないうちに終わってしまった。先には進めないだろう。

そんな中、悶々とストレスを感じてくる。もう職探しのルーティンが3ヶ月続いている。自分の中で気持ちの強弱をつけることが難しくなる。といって、世の中的も全てを忘れて気晴らしをするような雰囲気にもないことが一層ストレスを募らせる。

木曜日、先週金曜に最終面接があった日系企業から不採用の連絡が届く。

もう最初の15分ででた

「あなたのような経験豊かな方がうちの仕事で満足できるのだろうか?」

というセリフでだめだなと思っていたので、がっかり感はまったくなかった。

ただ、送られてきたメールを見てますます不可解な気持ちになった。

選考結果を長らくお待たせしており申し訳ございません。慎重に協議させて頂きましたが、ご期待に添えない結果となりました。
弊社にとって非常に魅力的なご経歴やスキルをお持ちでいらっしゃり、また、お仕事における信念にも、強く共感いたしました。ただ、弊社で現在募集させていただいているポジションは、貴殿が十分にご活躍いただける場所ではないと感じましたので、長らく、ご活躍いただける体制やポジションをご用意できないか、社内で調整・検討をさせていただいておりました。結果として、やはりご活躍いただけるポジションのご用意がどうしても難しいとのことで、この度、上記判断をさせていただきました。」

もっとスキルがないほうが雇いやすいと言うことなのか?

最初から、人事との話の中で給与レベルは問題ないという話だったので、それが理由と思えないし、面接でも終始一貫した話かたをしていた。オーバースペックならば最初からそうだったはずだ。ありふれた言い方でいうと縁がなかったということなんだろうか?

費やした数週間とエネルギーが精神的にきつい。なかなかうまくいかないのだ。

 

一方で夜、エージェントから一件、外資IT企業の人事からポジションの紹介があった。

まだまだこのルーティンは続きそうだ。

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怒涛の一週間(失業14日目) - 2020年6月14日

先週は、リクルーターとのインタビュー、外資系企業の人事担当者、日系中堅企業の面接が2度、日系ベンチャーとの面接と週5日、怒涛のインタビュー週間だった。面接に際してはそれなりの準備をしなければならないので、日替わりでそれが毎日くるというのはかなりなエネルギーを消耗する。そして一つ終わると頭を切り替えて次の企業の準備をしなければならない。本当にきつい。

外資企業に関しては、これから5、6段階のインタビューがあるという話だった。いろいろな立場の人とのインタビューがあるので(さらにほぼ英語)かなりの準備と心の強さが必要になる。日系ベンチャーは、うまくいったが、その後、逆に来週同日に3人続けて面接をしたいという連絡をもらった。来週も大変な日々になりそうだった。

一方で日系中堅企業は2回目、3回目の面接があった。金曜日の3度目の面接は人事担当役員でほぼファイナルということだった。

人事役員ということだからか、非常に人当たりの良さそうなひとだった。話は順調に進んでいったが20分ほどたって、彼の一言から流れが変わった。

「あなたのような経験豊かな人が、うちのこのポジションで満足できるのだろうか?」

汗が吹きだしてきた。それ以降、話のリズムがおかしくなってしまった。

面接は1時間で終わったが、最後の30分はあまり覚えていない。外資では足りないところを指摘され、国内企業ではオーバースペックすぎると指摘される。

なかなかうまくいかないものだ。

この中堅企業は、途中であった自分の部下となるべき社員の人たちがすごく優秀でいい感じの人たちだったので本当に残念な気持ちいっぱいだった。

また心が折れた。

週末は全てを忘れて映画や音楽を聞いて過ごした。気持ちを切り替える。それしかなかった。

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年金、保険、手当(失業4日目) - 2020年6月4日

会社から、退職2日目に離職票が届いた。子供の扶養異動を妻の会社にするので至急、離職票がほしいと事前に交渉していたので素早い対応で助かった。

まず、ハローワークに向かう。時節柄、そこそこ混んではいたが、接触時間をさげるためか、かなりの人手を使って良くも悪くも流れ作業的に事務をテキパキこなしていた。まずは、受付で書類をもらって記入する。すると15分くらいで名前が呼ばれた。事前に必要な書類は用意していたので5分くらいで手続きは終わった。通常、7日間の待機前後に説明会があるが、コロナの影響でこれも省略とのことだった。就職相談コーナーで求職票と登録して終了。およそ30分ほどで手続きは終了した。

その後、地元に帰って地区センターにむかった。人はまばらだった。区役所でなくても手続きができると教えてもらったのでこちらで国民年金と国民保険の手続きを行う。やはりコロナ禍で失業する人が多いのか、離職票の「会社都合による解雇」という項目をみつけるとやたら優しく丁寧だった。失業保険の受給票をもらうと、国民年金の減免措置が受けられること、手続きのしかたも丁寧に教えてくれた。

手続きをすますと、なんとなく失業中という実感がしてきた。というか、新しい自分になったという気持ちが湧いてきた。

久々に外に出てきたので、お気に入りのカフェで今日のスケジュールをこなす。毎日、前日にスケジュール帳にやる事を記入してこなしていく。気持ちを切らせないために大切なことだった。

英語のレッスンの宿題、昨日読んだビジネス書のノートまとめ、来週は日系企業の面接を控えているのでその企業研究、あっという間に夕方になった。

夜になって、今日のスケジュールをやり切った感を味わいながら、大好きなクラフトビールとワインを飲んだ。食事のあとメールをチェックすると、外資の人事担当とエージェントからポジションの紹介のメールが入っていた。

また明日も忙しい1日になりそうだ。

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New Chapter (失業1日目)- 2020年6月1日

最終出社日後、退職に必要な書類を揃えて会社に送った。これですべて終わった。でも、もう振り返る気持ちはかけらもない。あとは前を向いてすすむだけだ。

少し真剣に、もし就職がうまくいなかい場合のことを考えはじめていた。しかし、たぶん大きく違うことは10年前に起業に失敗した経験があること。

うまくいく方法はわからないが、どういう風にしたら確実に失敗するかはわかっている。頭の中をマインドマップに書き出してみた。ここ数年漠然と考えて事業アイデアがいろいろ巡った。

勢いで昔 一緒に起業した戦友に連絡をした。今の状況を説明し、あたまに描いていることを説明すると「明日 午前中にオンラインで打ち合わせしようよ」と言ってくれた。

次の朝、彼と打ち合わせをした。

お互いに過去のことは、いい勉強とともに苦い思い出なので、そこにはあまり触れなかった。彼は今 事業会社でプログラマーとして働いているとともに若いプログラマーにアイデアをどのような方法で、システムやソリューションに変えていくかという事をボランティアで教えている。

僕の事業アイデアとそれを伴うシステムの概要について意見をくれた。

「最初から欲張らず、人力がやれるとことは人力でやったらいいよ。それが、ITで動かせたほうが儲かるようになったら、システムを拡張すればいい。」

いろいろな金言をもらった。やはり戦友とは特別な繋がりを感じる

またその日、Facebookでつながっている昔の同僚の記事をみつけた。起業したが、コロナの影響で苦戦しているとのことだった。時間があるのでため込んでいた本をいっぱい読もうと思っているという。

ふと「マインドマップを使って読む速読法を伝授しようか」とメッセージを書き込んだ。4月から、マインドマップのインストラクター資格取得の勉強を開始し、自分なりにビジネス書の読書法を開発し、この1ヶ月に20冊くらいを読み込んだ。3時間もあれば、300〜400ページくらいの標準的なビジネス書をすらすら読めるようになった。

すぐに彼から、「ぜひ」と返事があったので、オンラインで軽く打ち合わせをして、月曜日にプライベートなオンラインセミナーの講師をやることになった。軽い気持ちで声をかけたが、彼は教育現場のプロなのでセミナー内容のダメ出しをしてもらう条件にやろうということになった。

2020年6月1日 会社を退職して1日目、失業第一日目は無給のセミナー講師としてスタートをきった。

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最終出社日ー2020年5月27日

会社へPCの返却と私物の整理に2ヶ月ぶりに出社した。

人事からの説明会で受けたインストラクションどおりにPCのデータを会社の所定ツールで全削除して部署のアシスタントに返却する手順だったが、会社から渡されたマニュアルは全く役立たずで削除するためのメニューが見つからない。結局、あれこれインターネットを見て、そのPCメーカーのホームページからやり方を知った。そもそも最初に「起動時にESCキーを押して」とマニュアルにあるのに、メーカーのHPでは「起動時にF10ボタンを連打して」とあり、1行目から間違っていた。どこまでストレスをかけるのだろう。それでもIT企業か・・・データを削除する前に、会社の仕事で絡んだ人、仲間、取引先へと3種類の退職挨拶のメールを送った。そして、ほぼ1日がかりでデータを削除した。

まだ会社は完全在宅勤務体制が続いていて、許可をもらった人のみが入館できる体制になっていた。入館受付で名前を言うが案の定 許可者リストに名前はなかった。先週、上司に27日に私物整理に行くと連絡したのに。最後までこんな感じだ。受付担当者にもう今週いっぱいで退職するので今日、整理ができないと困ると説明し、書類に署名して入館した。

オフィスフロアは誰一人いなかった。ライトも消されたままだった。デスクには2ヶ月間積まれた郵便物の山があった。机を開けて、不要となった書類や文具をテキパキと処分する。転職は過去何度もしているので、こういうことには慣れている。でも今までは、転職先があって「これは次の職場で使うかな」と思いながら廃棄するわけだが、こんどは分別するだけで全部捨てるつもりだった。それでも、私物の本や読んでいない雑誌をカバンに詰めた。

たった40分の作業。それだけだった。懐かしさや振り返る気持ちは、全く心に浮かばなかった。

PCをアシスタントの机に置き、受付でIDカードを返却しオフィスをあとにした。

誰もいなかったオフィス。心は、ことのほか静かだった。

帰宅して、私用のメールボックスを確認する。仲間への退職の挨拶メールに私用のメールアドレスを書いておいたので20数人からのメールが入っていた。

夜、一人一人に思いをこめて返信をした。

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少しの後悔 - 2020年5月22日

会社から退職についての説明会がオンラインで開催された。ちょっと残酷なのは誰が今回リストラにあったかがお互いにわかってしますことだ。Skypeでやっているので、例えばゲスト参加機能を使って匿名で入らせるというような配慮はないものか。

また手続きについても、人事も理解していないことも多くて、調べて後日回答ということが多々あった。こういうことは、お互い一回でスッキリやりたいのにこのざまだ。

保険、年金、失業保険の手続きと6月に入ると様々な手続きをしなくてはいけなくなる。一方で、今は一番時間のある時期だ。

いくつか、エージェントから提案を受けた案件があるが、いまいち自分の経験とぴったり来ない。一方でその求人票にあるキーワードの中で自分として知識の浅いものをひろって、本を読み漁ったりする。そういう学びの中でいろいろな発見がある。実際、仕事をしていることは、何かこれを勉強しておかなくてはダメだなと思っても、今はインターネットで概要だけはすぐに調べられるのでそれで終わったしまうことが多かった。ましては本を買ってきても積読にしておくだけで先延ばしにしていた。

今は時間があるので、一冊の本に止まらず、そのキーワードの関連書を次々読む。マインドマップのインストラクター資格取得の講座のなかで、読書法も学んだことにより300−400ページを2時間くらいで読めてしまう。頑張れば、1日3冊くらいは普通に読めてしまう。

そんな中で心に浮かんでくるのは、不採用になった3回の最終面接だ。特に1回目は自分のビジネスセンスのなさで落っこちたことは明白だった。それから2ヶ月の勉強で今なら、もっとうまく組み立てができると思っていた。

後悔先にたたず。。。

しかし、失敗したことで、時間ができたり、足りないことを発見して学習していく機会を得ているわけだし、なかなか難しい問題だ。

一方でこういった必要な知識を身につけないままに就業できていた時、いつか困難にぶち当たることだってあるはずだ。人生は難しい。

今は自分を磨くこと、力をつけること。それしかないのだろう。

少し寒い朝の空気を感じながら、ランニングへと出かけていった。

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